言葉

毎日何気なく使っている
美しいのに汚くて
優しいけれど残酷で
残らなくても消えない
我ら人に与えられたもの。




 ネット上に自分の文章を載せるに当たって、わたしは自分に課す約束事を決めた。
 他人を否定しない、ということだ。
 だから、政治・宗教などその人の思想・信条・アイデンティティに深く関わる話は触れないようにしてきた。そのために、わたしは優柔不断で難しい話になるとフェードアウトする卑怯者、と思われているかもしれない。それはそれで仕方のないことだ。
 顔の見えない世界では特に、言葉はすぐに凶器になる。顔を見て話すのなら、表情や仕草でその言葉の奥にあるものを感じとることが出来る。例えば、友人を口汚く罵ってはいるが、その友人のことを好きなんだなぁと感じるという事がある。けれど、これが言葉だけだったら?顔文字や「(苦笑)」なんてものを添えたとしても、どこまでわかってもらえるのか。顔の見えない言葉だけのやり取りは、誤解や齟齬を招きやすい。それで絶交をした、という事例も実際に知っている。
 リアルの世界でもそうだと思うが、「書いて(言って)はいけないこと」というのは存在すると思う。
 それは外圧による禁止ではなく良心に基づく規制だ。顔が見えない(匿名)の世界ならなおさらのことではないのか。
 無造作に投げた言葉で、見も知らぬ何人(何十人?)もの人を死傷させることなど容易い。自らの言葉が知らないうちに誰かを傷つけている(かもしれない)ということを覚えていなければならない。自分は諸刃の剣を握っているのだと自覚していなくてはならない。
 それなら、家族にも友人にもネットにも言えない(書けない)言葉はどうしたらいいのだろう。
 自分のお腹に入れてしまって消化して、別の言葉に生まれ変わらせるのがきっと一番いいのだろうけれど、これはなかなかに難しい。しょっちゅう消化不良を起こしてしまう。
 わたしのお腹には消化できないままの言葉が溜まっている。今、わたしはこれらを扱いかねている。
 穴を掘って埋めてもいいのだけれど、やがて風に乗って流れてしまうから、わたしは躊躇してしまうのだ。

ああ。言葉とは、なんと難儀なものなのだろうか。でも、わたしは言葉なしでは生きてゆけないのだ。


こころ触れ寄り添ってなお淋しくて だから言葉があるのだろうね
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by mizuki_nim | 2005-03-24 21:44 | 徒然につづる