NAGASAKI

唐寺(とうでら)の本殿を圧(お)す爆風に千切れた白き花 百日紅(さるすべり)
興福寺(唐寺とも呼ばれる)

うつろな目を空へと向ける天使にも人にも等しく降る放射能
大浦天主堂

噴水の飛沫(しぶき)を頬に受けて聞く幻の声 水をください
平和公園 平和の泉

たくましき男性像の下(もと)に満つ水面(みなも)を揺らす幼子の手は
平和公園 平和祈念像

帰京の日核廃絶の署名するたった一行たったそれだけ
平和公園にて


昨年、長崎を訪れる機会があった。
原爆と切り離せない長崎にこころを揺さぶられながらも、詠めずにいた。うまく消化できない、と言い訳をして。
本当は向き合うのが怖かっただけだ。自分のものではないとはいえ、ひどくつらい記録、記憶、事実に向き合うことを避けていた。
そんな時、
沢木理桜さんのberry*berry~恋ヲスル果実夾竹桃と日本人の私という記事を読んだ。
広島の夾竹桃にまつわる話から、ヒロシマを戦争を詠んだ短歌だった。ちょとした会話から広島の夾竹桃の話を知った理桜さんはそれをそのままにせず調べて、歌にした。きちんと向き合う姿勢を持った人だと思った。
その数日後、
みけさんのWEB備忘録 「死んだ女の子」 ナーズィム・ヒクメットという記事を読む。
「死んだ女の子」は、トルコの詩人ナーズィム・ヒクメットの詩に、作曲家外山雄三氏が曲をつけた反戦歌とのこと。原爆の悲惨と戦争に反対する切なる気持ちを、原爆の火に焼かれてしまった女の子に成り代わって歌ったもの、とのこと。
わたしはこの詩(歌)を知らなかった。正直に言うと、このタイミングでなかったらタイトルだけで素通りしただろう。
けれど、長崎、理桜さんの歌、に続いてきた詩。読まなければならない気がして、きちんと読んだ。TVでオンエアされた元ちとせと坂本龍一の演奏も聞いた。
そして、向き合ってみた。今はこれがわたしなりの精一杯。

向き合うきっかけをくれた理桜さん、みけさん、どうもありがとう。

一昨日(8月6日)は広島原爆の日。
明日(8月9日)は長崎原爆の日。
六十年の歳月が過ぎた。
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by mizuki_nim | 2005-08-08 22:48 | 徒然に詠める