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013 つくばねの

013: 陽成院(ようぜいいん)
筑波嶺の 峰より落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる
つくばねの みねよりおつる みなのがわ こいぞつもりて ふちとなりぬる
筑波山の頂から流れ落ちる、みなの川は――その名のように、蜷(みな)が棲むような泥水が積もって、深い淵となりました。そんな風に私の恋心も積もり積もって、淵のように深く淀む思いになってしまいました。

筑波嶺・・・茨城県の筑波山。
みなの川・・・筑波山から流れ出、桜川に合流して霞ヶ浦に注ぐ小川。後世、男女二峰を有する山に因んで「男女の川」とも書かれる。「みな」は「蜷」(泥中に棲むタニシなど小巻貝の類)と同音なので、そこから次句の「こひぢ」(泥濘)と同音を持つ「こひ」を導く序となる。
こひぞつもりて・・・恋心が積もって。「こひ」は「泥(こひぢ)」を連想させるため、「泥濘が積み重なって」の意を兼ねる。
淵となりける・・・「淵」は水が淀んで深くなっているところ。ふつう「瀬」(流れが早くて浅いところ)の対語。「泥水が積もり積もって深い淀みとなった」「恋が積もり積もって、淵のように深く淀む思いになってしまった」の両義。

*作者について
清和天皇の皇子。わずか九歳(十歳との記述もあり)で即位。その後十七歳で退位。奇行が多かったといわれる。

にっちもさっちも行かない恋という感じがします。
天皇→上皇となった人が東国の筑波山に行ったことがあるんだろうか、と不思議に思ったのですが、筑波山って歌垣で有名なところだったのだそうです。歌垣というのは、大辞林によると“古代の習俗。男女が山や海辺に集まって歌舞飲食し、豊作を予祝し、また祝う行事。多く春と秋に行われた。自由な性的交わりの許される場でもあり、古代における求婚の一方式でもあった。人の性行為が植物にも生命力を与えると信じられていたと思われる。のち、農耕を離れて市でも行われるようになった。かがい”とのこと。現代のお見合いパーティーもしくは合コン?
自由恋愛に憧れていたんだろうか。
この歌は綏子内親王(光孝天皇王の皇女)への恋心を歌ったものらしい。ちなみに綏子内親王は後に陽成院妃になっています。恋は淵じゃなくなったのね。

本歌取りのキーワード: 恋、淵、
「君と見た千鳥ヶ淵の夜桜」を今年もひとりで見にゆきました
「ついて来い」と言われなければ「ついて行く」とは言えない 言えばよかった


淵→千鳥ヶ淵→さだまさしさんの曲『風に立つライオン』という連想です。
この曲は、シュバイツアーに憧れて、アフリカに渡った青年医師の歌で彼の元に別れた恋人から結婚の知らせが届き、その返信という形です。
この中で「ナイロビで迎える三度目の四月が来て今更 千鳥ヶ淵で昔君と見た夜桜が恋しくて」と歌われます。千鳥ヶ淵を見るたびにこのフレーズが頭をよぎります。
限りなくノン・フィクションに近いお話だそうですが、この歌と違うところは、青年医師が帰国した時、恋人は彼を待っていたということでした。ステキな話じゃ♪

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by mizuki_nim | 2005-08-19 22:45 | 本歌取り