フォルテピアニシモ vol.1

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撮影:瑞紀 PENTAXOptioS5Z

 囁くように呟くように叫ぶように絞りだすような声に、どこかまったく別の空間に連れて行かれてしまった。

 7月22日、歌人・伊津野重美(いつのえみ)さんの朗読ライブに行ってきた。
初朗読ライブ。朗読っていうと、NHKラジオなどでアナウンサーが本を朗読する、なんていうのくらいしか思い浮かばない。そんな朗読観がひっくり返ってしまった。

 暗闇から始まったのは、静かな、聴く者を惹きつける声だった。
 事前に伊津野さんの歌集を読んでいたのだけれど、文字で歌を読むのと声で歌を聴くのとはこんなにも違うのかと、驚く。
 
 また、自作を交互に読んでいく穂村さんとの朗読では、歌は呼び合い響き合う。たとえば、こんなふうに。

 終バスにふたりは眠る紫の <降りますランプ>に取り囲まれて (穂村弘)
 わたしたち何処へ向かうのこのバスも闇に浮かんだ昏き方舟  (伊津野重美)

 呼び合った歌は新しい世界を構築し始める。どこまでも冷静で己を失わない穂村さんと寄り坐しのような伊津野さん(アフタートークで穂村さんは「伊津野さんは自意識の壁ををかるがると飛び越えてしまう」と言っていた)の声が響きあってゆく世界は、不思議だけれどどこか心地よい。

 第二部のドラムとのセッションは朔太郎の「竹」から異様なエネルギーを持って始まった。文字だけでは感じられないちからがある。恐ろしいほどに強い「生」はやがて懐かしいような「死」へ向かう。ドラムと合わせた「祇園精舎の鐘の声」はこれまでに聞いたことがなく、強く「滅び」を感じさせた。
 途中―どのテキストかは不明だが―「水」に関する部分があり、わたしはG.コルベールの『ashes and snow』のフィルムを思い出していた。思い出していた、というよりも映像が、ステージ上の伊津野さんに重なって、見えていた。
 他のテキストでも脳裏にすさまじいくらい鮮明に甦った光景があり、泣きそうになった。
 歌に、詩に、声に、まるで細胞から揺さぶられたようだった。これは忘れられない。

ふと、思う。『フォルテピアニシモ』は伊津野さんの祈り、なんだ。
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by mizuki_nim | 2007-07-31 22:04 | 徒然につづる