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林檎の香り

青林檎与へしことを唯一の積極として別れ来にけり  河野裕子

以前一度は目を通したことがあるはずなのに、その時には何の記憶にも残らなかった。
しばらく後、まったく思いもかけないところで待ち伏せされていた。
まさに、そんな一首。
何の気なしに手に取ったコミック『積極-愛のうた-』(谷川史子著 集英社(クイーンズコミックス))のラストシーンにこの歌があり、やられた!と思った。
『現代の短歌』(高野公彦編 講談社(講談社学術文庫))に所収されていそうだと思い、調べてみるとやはりあった。幾度となく読んでいる本なので、一度は目を通しているはず……なのだが記憶にない。何度も素通りするので「気づけよ!」とばかりに待ち伏せされていたようだ。
青林檎を与えた人とはもう会わない(あるいは会えない)のだ。ただの過去形にせずに「別れ来にけり」としたことで、その恋は完全に終わってしまったということが感じられる。(*けり・・・過去に起こった事柄を他から伝え聞いたこととして回想的に表す。…たということだ。…たそうだ。)
自分から動いたのは青林檎を渡したことだけ。おそらく手をつないだこともないだろう。表面的には淡々とした別れだったのではと想像する。これから先青林檎を見るたび、香りを感じるたびにその人のことを思い出すのではないだろうか。


そしてもう一首、「林檎」と言えばこの歌が出てくる。

君かへす朝の舗石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ  北原白秋

冬の朝の寒さ と 君の温もり
さくさくという(君がかえる)音 と 音のない雪
匂いのない雪 と 林檎の香
雪の白 と 林檎の赤(青かもしれないが、個人的な好みとしては赤としたい)
雪は降っていないか、ちらつく程度で薄っすら積もっている。日が出ていなくとも「その朝」は明るく「光」が感じられる。
感覚を揺さぶられる歌だ。美しくやさしく、そしてどこか切ない。
一方で「林檎」は「失楽園」をイメージさせるものでもある。それを思えば、背徳の香りも漂ってくるようだ。

by mizuki_nim | 2007-01-10 20:19 | 今日の歌